プロフィール

私が書いてます。はじめまして四辻誠悟です。

はじめまして!こちらのページには、私のプロフィールを赤裸々に書いてますので、気楽に読んでくださいね!昔の写真とかごっつ恥ずかしいです。

四辻 誠悟(ヨツツジ セイゴ)

生年月日 1980年8月30日生まれ 乙女座のA型
身長 186cm
体重 89kg
体脂肪率 25%
座右の銘 急がば回れ、酒は呑んでも呑まれるな
特技 チェーンソーを使う造材。切った面が真っ直ぐで、とても美しい仕上がりになり、市場でもビシッと並べれられる原木にする事ができます。詳しくはYotutubeへ。

四辻 誠悟 略歴

出生〜小学校時代

1980年京都府生まれ。四辻家に生まれる。

0歳 自宅にて

【9歳】剣道をはじめる。防具が臭く練習がきつく、試合に勝った瞬間が快感だったのが印象に残っています。今でも剣道を続けていた方がよかったと思うことがあります。

9歳 剣道の試合にて

このころドラゴンボールが好きで読むだけでは納得いかなくなり、描き写す行為をはじめました。単行本の後ろの方の各週の表紙特集を描き写しては、友達に見せてました。

文化祭で演劇に出演した時の写真

近所の兄ちゃんや姉ちゃんの影響で、音楽を聴きはじました。花園駅近くのチャームレコードで、Xの『紅』のCDを母に買ってもらいました。

中学〜高校時代:音楽の力でみな吹っ飛んだ

【15歳】野球部に入部。外野手から捕手へのポジション変更。慣れない捕手で、同級生たちと口論発展のけんか。出場停止は免れましたが、無期停学に。そこから同級生との距離の取り方がよくわからなくなり1年生2年生とあまり覚えていません。また絵を描くようになって、選択授業も体育と違う美術をうける生徒になりました。

【17歳】高校3年生は濃かった。音楽の授業で隣のクラスの友人とロックの話をしまくる。彼の影響力が半端なく、この期間にメガロック802を聴く事やニルヴァーナやレイジ、レッチリ、そして今でも一番好きなビースティ・ボーイズを教えてもらった。

卒業間近の2月、2人でビースティボーイズ イン大阪城ホールへ行った。名曲『Sure Shot』で会場が縦に揺れた。その瞬間、野球や友達関係の嫌な気まずい事が、音楽の力でみな吹っ飛んだ。あれだけ大勢の人を世界中で跳ね上がらす力に震えました。高校生の私は音楽に夢中になっていました。

太っていたころ

3年生の私は部活終了後、5キロ太りました。ピークの顔です。
そして、この時期、祖父が倒れました。いつものように晩ご飯食べて、クローズアップ現代をみてお茶飲んでる時でした。2階の自分の部屋で音楽聴いてたら『せいご!はよ下来い!』て母が飛び込んできた。家に初めて救急車が来たのを覚えています。

大学時代:振り返ると完全に現実逃避だったインドへの旅

【18歳】美術の先生の薦めもあり、京都のデザイン学校に入学しました。当時『CDのジャケットを作る人になりたい』と思っていたが、デザイナーに必須のイラストレーター、フォトショップと言うよりパソコン自体が上手く使えなかった。

今思うと、根気がなさすぎた。その後、失恋を多数経験し、昔から親の車でよくかかっていたサザンオールスターズを聴くようになりました。(とくに稲村ジェーン)

学校の勉強に興味を持てなくなり、途中から将来のことが考えられなくなった。とにかくバイトをし、お金を貯めて単独のインド旅行へ出る。

ガンジス川にて

インドへ旅すれば、自分の中の何かが変わると思っていたが、特に何も変わらなかった。ただ帰国してから40度近くの高熱でうなされる日が続き、生まれて初めて『死ぬかもしれない』という経験をした。

このころ入退院を繰り返していた祖父が亡くなり、父は勤めていた会社を辞めて、山の仕事に入りました。

【22歳】学校を卒業するにあたり、卒業制作を作ることになりました。卒業制作は大学の先生に評価してもらい、合格をもらえなかったら留年という恐ろしい仕組みになっていた。

学校でやってきたことて何なんやろう?何にも関係ないことやってるんちゃうか?親にお金出してもらって何してんねん!とにかく誰に見せても恥ずかしくない巨大な絵を描きました。

大学の卒業式

卒業式にてかけがえのない仲間たちと

なんとか無事卒業。親には申し訳ないがデザインの世界へ行くことはなかった。ただ今でも会うと一瞬で学生時代に戻れる友人や先生と出会えたことが、一生の宝だと思っています。

現在の(有)四辻木材で1年契約のアルバイトを始める。社寺仏閣の建築・修復中の現場への木材の配達、丸太から角材にする製材の手伝い、製材品の管理が主な仕事。たくさんの大工さんやお友達の皆さんと出会う。

抜けきらない学生気分

【23歳】学生時代から貯めていたお金でヨーロッパへ行く。『自分のイラストを売り込んで、海外から逆輸入されたい』という甘い気持ちを持参しながらの旅。自分の絵とメールアドレスが書いたポストカードを家庭用プリンターで刷って持って行った。ドイツのベルリンで本屋さんやゲストハウス等に置いてもらう。

自分のイラストを売り込んで、海外から逆輸入されたる甘い気持ちを持っての旅

2週間くらい待っていたが、何の反応もなく、自分が何をしているのかわからなくなる。安宿で目が覚めて起きて、近くにある屋台の安いホットドックを食べて、美術館へ行ったり、繁華街やクラブへ行ったり、ただ街中をウロウロしていた。常に一人行動なので途中から何をやっても楽しくないことに気がつく。

1年で貯めたお金でヨーロッパへ行った頃の写真

ヒゲがボーボーで本当に怪しい

ほとんど誰にも相手されない惨めな日が続き、時間だけが過ぎて行くので、このままではいけないと思い、ヨーロッパを回ることに。パリ〜スイス〜オランダと電車で回る。旅のつもりだったが後半になるとただの観光旅行になっていた。

1ヶ月半で資金が底をつき帰国。とりあえずなんでもいいから働こうと思った。仕事をして辛い思いしないといいものは作れないんやと思っていた。結局、ヨーロッパに持って行った絵のポストカードはなんの反応もなかった。

お金が全く無い私は、バイト時代可愛がってくださった大工の佐々木さんのお家の壁に絵を書かせてもらえませんか?という口実で転がり込ませてもらった。ここから居候生活が始まる。

無職の私はハローワークに行って仕事を探し、洛西の植木屋さんに就職が決まる。

主な仕事の内容は国道9号線沿いの街路樹の剪定の他、大手ゼネコン業者の現場にも行かせてもらった。ロームのイルミネーション並木を作る工事、エクシヴ八瀬の新築工事。また重要文化財の醍醐寺の池の修復工事など、多くの現場を経験するが、この仕事を続けていこうとは思えず、心のどこかにずっと違和感があった。

植木屋さんの仕事は『仕事は取り合い、常に何かする、ぼーっとしない、わからへんかったら聞く、やるとなったら一気に済ませる』ということを叩き込んでもらった。

そして佐々木さんには、大人として大切な、人を好きになることから入ること、接し方や、話の聞き方、距離感、楽しませること、数えきれないくらい多くのことを夜の繁華街のパトロール活動や、地域のお神輿担ぎを通じて教えてもらった。たくさんの人と出会わせてもらい、飲んで飲まれて自分の基礎がこの時代にできた。めちゃくちゃ楽しかった。

【24歳】佐々木さんの家を出る。嵯峨嵐山で部屋を借りるが、ここでは書ききれない程情けない事多く、一身上の都合で植木屋さんを退職。(反省の日々を過ごす)

事故と怪我を繰り返し身体で経験〜本気で山の世界と向き合う〜

【25歳】実家へ戻り、父の仕事(現職)を手伝い始める。4つ年上の地元の恐くて有名な先輩に付いて仕事覚え始める。

資材置き場に大きい肖像画を描き始める。これが最後、もう自分を無くすという思いで描いていた。

資材置き場に大きい肖像画を描いた

仕事の合間に描いて1年かけて完成

これを最後に『俺の絵なんか別に生きて行くのに要らんやん、誰の役にも立たへんし、誰も欲しくないやん』とふてくされてほとんど描かなくなる。

【26歳】南丹市美山町の現場での掛かり木の処理作業中、大怪我寸前の事故に遭う。

右腕を失う寸前で先輩に助けてもらう

事故を起こす。右腕を失う寸前で先輩に助けてもらう。震えて腰を抜かし、作業を中止して帰るということがあった。

【27歳】友人の紹介で嫁に出会う。彼女のいない私に気を使ってくれて、同級生の自動車屋さんがビアガーデンに大勢の人を集めてくれた。その中に嫁がいました。

交通事故を起こす。軽トラ1台廃車にして、免許取り消しまであと1点というところまで行く。羽束師試験所で一番重い処分者講習を受ける。(その後2017年まで無事故無違反でゴールド免許になりました)

【28歳】京北上弓削町深見の現場で、架線集材の作業中に事故。ワイヤを掴み固定するバイスという鉄の道具が左脚膝に直撃。

右腕を失う寸前で先輩に助けてもらう

左脚半月板を損傷してしまい歩けなくなる。生まれて初めての全身麻酔手術を受ける。1週間の入院生活。グリーンワーカー研修を受ける。重機免許各種取得。

初マイカー購入。当時話題のエコカー・ホンダのインサイト。京北下弓削町の現場で間伐作業中、チェンソーで左太ももを切る。全治2週間。

【30歳】実家を出て、太秦に部屋を借りる。同棲生活始める。伏見稲荷での枯れ木の伐採作業中、山の中に落ちていた古い釘を踏む。足を貫通寸前のけがをする、全治2週間。

京北山国町稲荷谷の現場で8トントラックを林道下の川に落としてしまう事故を起こす。奇跡的にケガなし、被害者ゼロ。現場にきてもらってる職人さん全員で1日中引き揚げ作業にかかってもらい、奇跡的に8トントラックも無事復活。情けなさと感謝で現場で泣く。

結婚と子供の誕生〜家族みんなで京北で暮らす〜

結婚式の写真

【31歳】結婚をする。林業大学校の隔週土曜午後開催の一般向け講座『経営高度化コース』を受講。大勢の近隣の森林組合の方々と出会う。

【32歳】貯金が底をつく。残高マイナスの日々。通勤と市街地に住むことに限界を感じ出す。

架線集材作業中に木が回転し、大規模なケツバットを足に受けひどい肉離れで全治2週間のケガ。頭に当たらなくて本当によかった。嫁が妊娠する。

架線集材作業中に木が回転

【33歳】長男が誕生する。太秦から実家の京北へ帰ることに。地元の京北商工会青年部に入り、毎年夏休み恒例の『カブトムシドーム』や地元の婚活イベント『男女100人恋物語』の事業にスタッフで参加する。地元の経営者の皆さんと出会う。

【34歳】仕事を教えてもらった先輩が退職。原木の搬出の際必要な作業道作成、山土場の設定などの重機仕事、現場の人の手配、仕事を進める段取りの責任が自分になった。先輩に頼れなくなった。一気にプレッシャーがのしかかったが、同時に仕事が楽しくなり出した。どこか他人事のように感じていた仕事が、気がつけば自分事になっていた。

【35歳】長女が誕生する。現場仕事以外に、営業活動を始めるため、この四辻木材のホームページを学生時代の同級生の村上デザイン事務所さんに作ってもらう。記事で説明するのに絵を描く必要が出てきて、また絵を描くのが楽しくなってきた。

四辻木材のホームページ

【36歳】初めてホームページから、家の裏の危険木伐採の仕事を受注する。

【37歳】次女が誕生する。作業服をオレンジ色に変えて明るく日々奮闘中!

作業服をオレンジ色に変えて明るく日々奮闘中!

現在に至る(長いですか?これからも続きますよ〜)

私たちの思いに続く >>

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四辻 誠悟プロフィール

四辻木材 四辻 誠悟
祖父の代から京都で林業を営んでいます。
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