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2021.12.21

【日本の林業の歴史を学ぶ】過去も未来も人は生きてる限り木と密接な関係です。

【日本の林業の歴史を学ぶ】過去も未来も人は生きてる限り木と密接な関係です。

こんにちは、キコリのよつつじせいごです。

地元の木材市場の社員さんから、「いつもブログ読んでます。僕、せいごさんから林業の歴史を聞きたいです!」と、嬉しいリクエストをいただきました。

今回は、繰り返し読んでる大事な歴史本、コンラッド=タットマン著「日本人はどのように森林をつくってきたか」を参考に、ザ〜ッとお話したあと、次回は私が16年間で感じた変化について書こうと思います。

現状、日本の森林は、稲作はじめてから木伐りまくられて植えられて、いまが在庫マックス状態です。

全国で戦後に植えられた60〜70年同世代の針葉樹でいっぱいなんです。

これまでも日本は狂ったように木を伐りまくった時代が3回ありました。

大きく分けると、この3つの時代です。

  • 1)古代(奈良〜平安)〜神社とお寺を建てまくろう時代〜
  • 2)中世(鎌倉〜戦国)〜山とか木とか関係あらへん、ケンカやケンカ時代〜
  • 3)近世(戦国〜江戸)〜ごっついの建てるしええ木持ってこい時代〜

木は人のために存在してるのが当たり前」なのが、この2000年の日本人と木の歴史です。

過去からの流れを知ることで、近い未来の視点が増えるきっかけになれば最高です。

それでは、ほんまにザ〜ッといきますよ。

古代の森林伐採(600〜850/奈良〜平安時代)

人が日本に来て4万年。

3万8000年間、人は森にくらしていて、原生林が日本中にありました。

弥生時代は、稲作が伝わり、田んぼ作るために

「原生林を伐りひらく→隣の人と場所を取り合う→争いになる」

結果、豪族たちが各地方で争ううちに、ナンバー1の豪族・天皇が誕生する。

ナンバー1の村=都をひらいて、次は中国と貿易開始します。

宗教と大きい建築物を造る技術、技術者たちがやって来て(←個人的には正直ほんまかな?と疑っています。)

中国みたいなお寺と神社を都にも作ろう。天皇もOKで古代の建築ブームがスタートです。

奈良県周辺は神社やお寺、都市を造るために木が伐りまくられていきました。

気がついたら木は無くなり、今度はあっちにあるから、京都へ引っ越そう!

平安京づくりスタートします。(地元京北にも平安京つくるため木材を供給した記録あり)

次は京都の近くが本格的にハゲ山ばかりになってしまい、木が無くなりました。

※京北周辺に限ってはハゲ山にならないように計画的に伐っていったそうな?

天皇及び関係者各位も「木がもうあらへんし、さすがにまずい」となり、お寺や神社を修繕する時に使うため、急いで伐採禁止令だして、森林を確保するようになりました。

「禁止するでおじゃる」

中世の森林伐採(1050〜1550/鎌倉〜戦国時代)

西暦1000年に650万人いたとされる日本の人口は、1600年には1300万人と、倍に増えました。

原因は、「

この時期、鉄が農業の道具に使いはじめられて、お百姓さんの農作業効率が大幅にアップします。

田畑の生産が増えて、たくさんの人たちが食べられるようになり、結果人口が増えました。

(※余談ですが、もののけ姫の話はこの時期の話ですね。)

人が増えた結果、家を建てなあかん!とブームとなり、街の近くの山では、山から人力で運び出せるサイズの木がどんどん伐り出されました。

人が増え、社会が成熟してくると、どうしてもセコい人たちも増えてきてしまいます。政治に腐敗、汚職があふれ、天皇周辺が進める体制に限界がきます。

お偉いさんらの用心棒だった武士たちが力に物を言わせはじめました。

結果、武士の中で強かった伊勢出身の平家がNo.1となり、天皇周辺の公家に入り込んでいって繁栄したあと、源兄弟に滅ぼされます。

鎌倉幕府がスタートするも3代で滅亡しました。

鎌倉はあかんやろ!と、それから戦争に次ぐ戦争で、勝ち残った足利家が室町幕府おこして再スタートです。

武士は、地元の田畑や山林には無関心で、戦争がないとやることがない人たちなので、戦争に夢中です。目の前の戦争のためにムチャをするし、戦争が都市部でも起こって良い木で造られたお寺や神社、民家などは焼け落ちました。

お百姓さんたちは戦争のたび、田畑すてて逃げなければなりませんし、家を潰されたり、兵隊にさせられたち、怒りが頂点に達します。

「武士(みたいなもん)に守ってもらおうとか言うてられへん。」

地元の資源は地元民で守ろう!と各地のお百姓さんたちは山、田畑を独自で管理しはじめました。

この頃になると、国内の山には大きな建物を建てなおすのに必要な太い木が無くなってしまい、現実的に揃う木で低くて小さなお寺や神社が建っていきました。

近世の森林伐採(1570〜1670/戦国〜江戸時代)

室町幕府が滅亡した後は、織田信長が勢い出し戦国時代に突入です。

相変わらず日本は、武士の世界で戦争が続きます。

まずは豊臣秀吉さんが天下統一をしました。

天下統一を記念に大阪城を建てよう!日本中から良い木を集めました。

豊臣秀吉さん没後、関ヶ原の戦いで徳川家康さんが勝ち頂点に立つと、江戸幕府を開いて「新しい都つくる」と言い出すので、木が必要になります。

戦争が無くなったので、各地の大名たちは「城+城下町セット」造るので、多くの木が必要です。

平和になった江戸時代の都市は、木造の建物が密集していたので、頻繁に火事が起こり、すぐ燃え広がって大惨事になりました。

現代のように消防車やポンプ車はないし、燃え尽きるまで放置するか、火がまわる前に建物を壊すしかありません。

火事のあとは建てなおすため、また木が必要に。

歌川広重の浮世絵「東海道中五十三次」に描かれている山がハゲ山ばかりなのが、これで何故だかわかりますよね。

近代〜現代にかけての森林伐採

戦争がなく、200年以上平和で長かった江戸時代が、ペリーの黒船で突然終わり、明治維新です。

県VS県の激しい内戦を繰り返したあと、次は外国と戦うぞ!

明治に日清、日露に勝利して、昭和に太平洋戦争と日本人は戦争を繰り返します。

この時の日本の山は、ハゲ山ばかりですが、山奥には木が残っていました。

軍が戦艦など戦争で使うものを造るのに、残っている木をどんどん伐って提供させます。山の木はどんどん伐りだされた。

有名な戦艦大和の甲板もヒノキ材です。

さらには終戦後、焼けてしまった大都市をなおすのに、大量の木が必要になります。

「もう在庫はありません。将来ハゲ山しか無くなる」という危機感から、

政府主導で全国的に「戦後拡大造林」事業がスタート

現在の日本の木の70%、約1000万ha(青森県から山梨県まで塗りつぶす広さ)

これを昭和20年代後半〜たった10年間で植えました。

↑これくらいの広さという例です。

大都市を建てなおす、住宅用の木、燃料の需要で木がどんどん必要です。

「国内の木の在庫が、もうありません!ま、えっか!奥にまだあるやろ」全国的に木材が足りない状態続きます。

この状況をみて

政府が昭和51年に木材輸入自由化がスタート

外国の木が関税なしで国内に入りはじめました。

それでも「国内の木の方が上質やから」と値上がり続けて、1980年(昭和55年)に木材価格はピーク迎えました。

(※またまた余談ですが、私はこの年に生まれました。)

歴史を振り返ってみても人は木と共に暮らしてきた。

以上、ザ〜ッとした林業の歴史を振り返りでしたが、自然や山の立場から人を見ると、まるでホラー映画で最初にやられるパーティーピープルの若者のように、どこからかやってきて散々騒いで、どこかへ消えてしまうような小さな存在です。

私たちキコリは木を植え、木を育て、木を伐り出す(山から搬出する)ことで、誰かに喜んでもらい、社会に貢献しています。

過去を振り返ってみても、これからの未来も人が生きていく限り木は必要で、伐っては植えてを繰り返していかねばなりません。

人の世界に何が起きようが、木は何も関係がなく、山で静かに立って、着実に成長していきます。

次回はまさに現代!私がキコリになって16年で感じている変化について書こうと思います。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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