こんにちは、キコリのよつつじせいごです。
大変ご好評いただいている私が実際に体験した“山であった不思議な話シリーズ”の第3弾です。
長く山の中で仕事をしていると、ときどき不思議な事に出くわします。その中でも印象に残っていることが4つほどあるので、少しずつ書いていきます。
今回は、3つ目のお話「うごいたお地蔵さん」です。それではご覧ください。
2018年の夏、お盆休みのお話です。
私と隣人のKさん、Yさんは、「施餓鬼(せがき)」と呼ばれるお寺の行事の役で、本番の準備と設えを3人で段取ることになりました。
※施餓鬼とは、その年に他界された方のご家族さんが集まり、お寺でご祈祷を受ける行事です。
私たちの役割は、通称「八十八ヶ所」と呼ばれているお寺のお堂の裏山に据えられた、“八十八体のお地蔵さん全員に樒(シキミ)を供えてまわる”というものでした。
このお地蔵さんは、大正時代、私の曹々祖父・四辻音松の代に、地元の檀家の家一件につき一体のお地蔵さんが山中に奉納されたものです。
お盆休み初日の朝です。
心の中では「せっかくの休み。めんどくさいなぁ。ほんまやったら家族旅行へ行きたいのに・・・。」と、バチ当たりなことを思いつつ、気乗りはしないままお寺へ向かいます。
KさんとYさんと待ち合わせし、二人が前日に用意しておいてくれた樒を持って、裏山を登りはじめました。
昭和初期には祖父や大叔父、大叔母もよくこの山で遊んでいたと聞いたことがあります。子供が遊べるほどの低い山ですが、山中全域にお地蔵さんが配置してあるので、結構な距離を歩きます。
登りはじめてお地蔵さんの前で、樒を両端の花瓶にいけて、アンして、10mほど先にあるお地蔵さんに同じことをして、ちょっと登って、またお地蔵さんに同じことをして、またまたお地蔵さんに・・・。
3人で昔話や世間話をしながら順調にこなしていた、
「その時です。」
「・・・(林道に何かがいます)」
何かかたまりのようなモノが、山道の上にいるのが視界に入りました。
動物?岩?落石?・・・人?えっ?えっ?
恐る恐る近づいてみると、
そこにはお地蔵さんがおられました。
不思議に思ったのは、コンクリートブロックで作られた祠(ほこら)よりも前方50センチほどのところの道上に、座っておられるからです。他のお地蔵さんは祠の中で安置されています。
Kさん「え・・・。何で?」
私「お地蔵さんが、何で動いてるんですか?」
Yさん「・・・。」
一体だけ、なぜ外に出ているのか意味がわかりません。
最近外に出たような質感で、濡れてもいません。
Yさん「動かす意味なんかない。」
ましてやもう山のてっぺん付近だったので、普段人が入るようなところではありません。
「・・・。」
3人はしばらく無言で立ち尽くしてしまいました。
顔を見合って年長者のYさんが「よし、戻しとこう。」
3人でお地蔵さんを拝んでから、持ち上げて、座っておられた元の位置へ戻しました。
持った感じは重さは約5キロ強あるので、これはケモノが動かせるようなお地蔵さんの重さではありません。
お地蔵さん八十八体のうち一体だけ祠を出て、道に座っておられたのはなぜ?
誰かが動かしたとしても、こんなことをする目的が全くわかりませんし、そもそも誰が奉納されたものか?探るも石が風化してまったく文字が読めない状態でした。
あとでご住職に伺いましたがわからず、大人や高齢の先輩各位の誰に聞いても、知らない、わからないとのことでした。
今も理由はわからず謎のままなので、信じるか信じないかは、あなた次第です。山での不思議な出来事でした。
追伸:昨夏、息子や息子の友人が遊びにきた際、この話をしてから山を一度登りましたが、お地蔵さんは祠から出ておられませんでした。
なので、私はただのウソつきおじさんになってしまったのでした。
こちらの不思議な話もあわせてご覧ください。