こんばんは!四辻木材のよつつじせいごです!
ただいま“禁酒”をしています。というのも、最近は飲むと必ずと言っていいほど、記憶を飛ばしてしまうからなんです・・・。
「酒は飲んでも飲まれるな。」今回は反省の意味を込めて、お酒についてお話したいと思います。
めっちゃお酒を飲むイメージが強いようで、実際にはじめてお会いした方のうち6割くらいは聞かれます。
このような時は、『昔は飲む人が多かったですが、今はそんなに飲む人はいませんよ。』と答えてます。
現在、私の周囲の木こりさんたちは、飲んでも少量の人が多いですね。
これが昔は違って、木こりは山でも飲んでたみたいなんです。
ここで言う昔とは、50〜60年ほど前の高度成長期の日本。昭和です。
明治から繰り返された戦争で、軍需物資として国内の木材は繰り返し伐採搬出され、今のプラスチックや鉄であったりするところが、木を使う時代でした。
日本の山間部各地は、あっという間に、はげ山が広がり、山には伐採可能な利用できる太い木が、極端に少なくなった上に、空襲で焼けてしまった都会では、住宅需要が一気に増えました。
国内の木は残り少なく、価格が跳ね上がり、
「価格が上がる=金儲けになる」
ただでさえ在庫が少なくなっているのに、国内の山の木は、どんどん伐られました。
各地で他人の山を勝手に伐採してしまう“盗伐”も起こり出します。
このままで行くと、国内の山の資源・木材が枯渇してしまうピンチな状況は目前に迫っていました。
この状況みて、政府が決断します。
昭和39年、外国から木材を輸入できるようにするように、輸入木材の関税をなくす、外材輸入自由化を決行。
現在でいうTPPが木材業界では、昭和に行われました。
自由化以降、輸入材は入ってきますが、国内ではまだ、良い建物、数寄屋がかっこいいという価値観があったので、手入れされている木材や丸太が、重宝され続けました。
木材価格は、私が生まれた年の昭和55年にピークを迎えました。
地元の(株)北桑木材センターでは、スギは今の4倍の値段で木は取引されており、現在のスギは1万円数千円/立方メートルなので、4万円超で取引されていたことになります。
逸話にしか思えませんが、4トントラックいっぱいのヒノキの良い材は300万円を超えたこともあったそうで、祖父の会社は儲かったと聞いています。
週3回ほど夜に、番頭さんや山の仲間が、応接間に集まって遅くまで酒を飲み、毎年数回は協力会社と旅行に行く、その際に現金の束を持って歩いたそうな・・・。
街では家がどんどん建ち、物を作れば売れ、明日はもっと良くなると、イケイケドンドンで右肩上がりの時代があったそうです。
供給より需要があるから、木材の価格が高く、田舎では林業がたくさんのお金を動かしていた時代。
現在とは違い、量を出さなくても採算がとれるので、人の気が大きい。
仕事は比較的ゆっくり(朝に頑張って、昼からはゆっくりの感じ?)なので、木こりさんたちは、昼ごはんを食べるとき、谷水で冷やしておいたビールを呑んだ。
山では若手や奥さまたちが、お昼前に火を起こしておいて、生のサバを焼いて大勢で昼バーベキュー。(この時代、地元の職人さんは奥さんと山仕事すること多かった)
『“薬”持ってきてくれ〜』『はい!』みたいな会話があった。
カラカラになった喉をビールが通っていく、それは悪魔的にうまいと思います。
山にはたくさんの古いロゴが書かれた缶ビールが落ちています。
これ以外にも、1升瓶が落ちていたり、一体何を入れていたんやろう?
お酒か?チェンソーの燃料?
チェンソー燃料かもしれないが、飲んでいた物の可能性も高いです。
こんなむかし話を聞いたことがあります。
ある暑い日、一人の職人さんの喉が乾き、お茶と間違えて燃料を飲んだ。みるみるうちに様子がおかしくなったのを仲間の職人さんが発見。
すぐに病院に運ばれ、胃を洗い入院したという話を笑い話として聞いたことがあります。
木こりのむかし話に登場する山の先輩たちは、なんかほんま寅さんの映画の中の人たちのようで、人間らしくて好きです。
喜怒哀楽がはげしくて、欲求にも素直で、めっちゃ話し合い言いたいこと言う、距離感が近く、嫌なことも寝たら忘れる。
インターネットやSNSが発達して、人との距離感がわからん、自己肯定感とか、他人軸・自分軸とか言うてる今やからこそ温故知新。昭和、平成の良いところも大事にしていきたいです。
お酒は楽しくほどほどに。(自分に言いきかせておきます。)